「ネット丸写し」問題の本質は何か?

Exciteホームを眺めていたら、こんな記事を発見した。

大手進学塾『栄光ゼミナール』が、「中学生の学習とインターネット利用」という調査を行ったところ、52.2%が「課題や宿題でインターネットを使った際に、サイトから丸写ししたことがある」と回答した。

この調査は『栄光ゼミナール』が「携帯電話を持っている中学1~3年生男女それぞれ500人ずつ、合計1000人」を対象に行ったもの。これによると、「インターネットを『よく使う』『時々使う』」と答えた生徒はちょうど900人で、そのうち「課題や宿題にインターネットを使う」と答えた生徒が50.1%。科目では「社会」が一番多かった。

ぶっちゃけ、この記事を読んだだけでやれ「ゆとり世代は云々」とか頭ごなしに否定するつもりは毛頭無い。
まずは、この記事中に掲げられているキーワードについて読み解いて行くことにしたい。

1. 中学生の学習にインターネットが利用される事は善か悪か?

これについては、概ね善であるというのが私の持論である。

一般に指摘されるのは、インターネット上に存在する情報の真偽に関する課題であろう。インターネット上では(インターネットに接続可能であれば)誰もが情報発信者となれる(可能性がある)。それ故情報の真偽が乏しいというのが理由であろうが、そもそもインターネット以外から得られる情報であれば正しい等という保証は何処にもない。
TVなんて人民を特定の方向に誘導する為の、言わばプロパガンダ以外の何物でもない。新聞記事だって、記者の先入観のカタマリと言ってしまえばそれまでだろう。学術論文や教科書の類についても、時代を経て理論がより深耕されれば「実は間違ってました」なんて結果に陥る事もあるだろうし、そもそも誤記の可能性だって否定出来ない。

我々の時代を振り返っても‘教科書は絶対’であったが、今思えば教科書こそが知識の幅を狭める元凶でしかなかった。
最近インターネットを利用して個人的に調査したネタとして、核兵器の開発から現在に至るまでの歴史というものがある。中高生時代の教科書には、日本が最初の被爆国で云々とか米ソが冷戦という状態にあって云々とかいった歴史的・政治的な記述が殆どで、ぶっちゃけリアリティの欠片も無かった。しかし、この年になって改めてネット上で色々調べてみると、当時の教科書には記載されていなかったような(極めてグレーな)情報がわんさか出てくる上、あるトピックに関する解釈も実は書き手によって全く変わってくるのだという事例に幾つも出会う。第二次大戦の開戦・終戦に至るエピソードについても、真偽はさておき興味深い情報に溢れている。
こういった体験は教科書だとなかなか味わえるものではなく、インターネットのように多種多様な視点に基づく情報が混在するメディアならではと言えるのではなかろうか。

無論、無数の情報の中からどれが正しいか見抜く能力は要求されるべきである。しかし、ここで‘正しい’という表現を使うのは適切でなかろう。
どの情報が自分の視点に一番近い、或いは、自分という軸を中心にした場合にどの情報が最も有益であるか、それが一番のキモであろう。

2. インターネット上の情報の丸写しをどう考えるか?

これは憂慮すべき問題である。

実際の所、社会に出ればコピペ文化を否応なく押し付けられる為、中学生がネット上の情報を丸写ししている現状を頭ごなしに否定出来る状況には無いだろう。むしろ、必要な情報を瞬時に探し当てて、迅速にまとめ上げる能力は評価すべきである。
しかし、ここで問題となるのは情報の引用という行為が単なる作業と化してしまい、当人の思考の殆どが活用されなくなる点であろう。例えば文章を引用する場合、この情報は何処の誰が述べた意見であって、これに対して自分はどう思うとかいったような‘考える’ステップが必須である。しかし、単なるコピペにおいては考えるというステップが発生しない為、当人の思考能力は退化する一方である。

とは言うものの、ニュース記事等を丸々コピペして1行コメント付けただけで「ブログやってます」とか豪語する連中が五萬と居るようなこの御時世、本当に頭と気を使(遣)って生活している人がどれだけ居るのかは甚だ疑問に感じる所であるが。

3. 中学生が携帯電話を所有する必然性

携帯電話なんて持たなくても学生生活は成立可能である。
以上。


私は20世紀末からインターネットを利用し続けている世代なので、インターネットの善し悪しについては身をもって認識しているつもりである。それ故、インターネットなんか無くてもいいなんて悲観的意見は抱いていないし、一方で現状のインターネットのあり方には一抹の不安を覚えている。
BlogとTwitterとエロ動画だけに支配されたネット社会なんて、確実につまらない。出会い系サイトとか学校裏サイトとかが平然とニュースに取り上げられるような現状は、実に馬鹿げている。かと言って、教科書検定宜しく全ての情報が検閲を受けるような世界になってしまったら、益々つまらなくなってしまう。

この何だかよくわからない閉塞感を打破する為には、矢張りインターネットの何たるかを(技術的・社会的側面の双方から)きちんと学習した人間の下で、次世代のインターネット活用者を育成していく必要があるだろう。
小中高の教員レベルでそういった人材がどれだけ居るかも疑わしいし、そんな大人達に上から目線で調査結果を示されても、状況が変わるとは到底思えない。

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