ネット&アキバが大衆文化を破壊した。

最近ちょくちょく目に付いて、度々不愉快な思いを強いられてきたこの記事に関して。

アンケートでは、「w」を使う人が117人いたのに対し、【好き派】はその半分以下。便利だけれど、少しイメージの悪い「w」。けれど、【好き派】の意見を見ると、やや軽いイメージのある「w」を肯定的にとらえている人が多いように見受けられました。

ふと思いつき、母に「お母さんwww←この記号好き?」とメールしてみると、一言「田んぼ?」と返ってきました。そういえば昔、私も「~」を表す記号だと思っていた時期があります。広く使われ始めたころには、そんなに悪いイメージはなく、(笑)=「w」だと思っていたけれど……。うーん、いっそのこと、今からでも「w」のイメージアップは図れないでしょうか?

好きとか嫌いとか以前に、こんな記号を日常のコミュニケーションで使用する事自体が問題なのである。
どうしてこう、問題の本質に目を向けようとしないのだろう?


多少の誤認は覚悟の上で歴史を振り返ると、元々は感情や会話状況の表現として‘(笑)’という表記が用いられるようになったのが発端であろう。それがインターネット文化の発展と共に「入力が面倒」「誤変換が面白い」等といった理由から、‘(笑’→‘ワラ’→‘藁’→‘w’等と変化してきたのであろう。
実際、20年前からペーパーメディアであってもインタビュー記事等を中心に‘(笑)’という表記は見受けられた。‘w’を平然と表記する(ある程度ステータスのある)ペーパーメディアは、今日に至ってもまず存在しないだろう。

特に‘ワラ’以降は、専ら2ちゃんねらーが使うスラングであった。
興味関心を示す笑いというよりは、むしろ嘲笑的な意味合いから来る(シニカルな)笑いを表現していた例が殆どであった。

詰まる所、‘w’は一般的な楽しい感情を示す為の記号としては機能しない筈、いやむしろ機能してはならない筈なのである。
それがどういう訳か、猫も杓子も携帯メールは勿論手書きの文書でさえ、この‘w’という表記を(本来の意味なんて知る由もなく)平然と常用するようになってしまった。

2ちゃんねるの黎明期は、極一部の‘尖った’ネットユーザだけが集い、嘘か誠かまるで定かではない情報がやり取りされていた。
「2ちゃんねるの情報は9割以上眉唾である」という認識の下、2ちゃんねらーは己の必要とする最新の(裏)情報を追い求め、(当時の私を含む)その他のユーザは2ちゃんねるを強く敬遠していた。

しかし、インターネットが一般に普及するに連れ、2ちゃんねる等の‘異質な’メディアが一般人の目に触れるようになった。
これらの異質なメディアに対する抵抗力を持たない連中がそれを当たり前の文化と誤認した事で、異常が日常となってしまった。
バーチャルとリアルの境目が、実に不明瞭になってしまった。

同様の現象が、電気の街『秋葉原』でも起こっていた。
元々、秋葉原は電気回路部品の小売業者が狭い敷地内にひしめく‘電気オタクの街’だった。
アンプマニアやオーディオマニア、或いは大学の研究室レベルで電気回路を自作していた学生等が、ラジオ会館や薄汚れた路地でバラ売りされるトランジスタやらケーブル類やらを物色していた。
其所には、好奇心溢れる‘知的オタク’が溢れていた。

彼等‘知的オタク’にはオーディオや映像のマニアも含まれていた。
彼等の好奇心を刺激するべく、秋葉原の一角にはアニメの専門店やレコードないしCDの専門店が少なからず見受けられた。
彼等知的オタクの孤独を満たすべく、大人向けのビデオショップなんぞもあった。

大体、アニメイト秋葉原店なんてかつては大通りとは逆側の寂れた路地にクソ狭い店舗をぽつんと構えていただけだったのだ。
それがいざ気付いた頃には、大通りにデカいビルを構えるまでになっていた。
あのビルを初めて目にした時、私は多大なる危機感を感じた。
そして平成22年の今、それは確実に現実の問題となっている。

エヴァンゲリオンを高校時代リアルタイムに観ていた我々は、翌朝登校してはその内容について議論を交わしていた。
私を含め、あの放送内容に疑問を呈する声も少なからずあった。
事実、当時の私は最終話目前にしてエアチェックする気力を完全に失った。文字通り『エヴァ嫌い』になった。

しかし、今ではエヴァンゲリオンがさも大衆文化であるかのように取り上げられるようになった。
エヴァンゲリオンの二番煎じと呼ぶのもおこがましいような似非タイポグラフィーが世に氾濫した。
パチスロにもなったし、コンビニもジャックした。
エヴァ通である事がステータスになってしまった。

AKB48が初めて登場した時、これは極めて危険な状況だと感じた。
ドンキ秋葉原店の上の方に構えた劇場をお目当てに、訳の判らん連中が連日足を運ぶようになった。
AKB48は、彼等から膨大な資金と創造力を奪った。

これに味を占めた秋元某は、執拗なまでのメディア戦略に打って出た。
秋葉原になんて足を運んだ事も無いような中高生共が、こぞってAKB48ファンを名乗るようになった。
いつしか、AKB48が「可愛い」「歌がうまい」「一流の」アイドルの基準となってしまった。
その実態は、数の暴力以外の何物でも無かったというのに、だ。
そして、その裏では数多くの女性アイドル歌手が駆逐された。


オタク文化は特殊な文化であって、俗世間からは隔離されるべきである。
少なくとも、一般人にそれを強要する事はあってはならない。
オタク文化は、少なからず己の創造力を減退させ、バランス感覚を狂わせる元凶となるからだ。
それが、学生時代までオタク街道をひた走っていた私の持論だった。
私に限って言えば、学生時代を境にアニメ/マンガ/ゲームの殆どを断った。

オタク文化を当たり前のものとして受け入れてきたイマドキの連中は、将来どんな文化的財産を築いていけるのだろうか?
少なくとも、私は私的なメールであれ‘w’を乱用するような連中とオトモダチにはなれないのだが。

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