午前中はひたすらDoblogしながらCG。午後は池袋業務だったので、行きがけにMacPower誌を入手。
MacPower誌は言うまでも無くMacintosh専門のコンピュータ雑誌であるが、これを読んでいると度々出くわす文句がある。それを端的に表現すればこんな感じだ。
「MacとKeynoteを使ってクールにプレゼンしよう。聴衆の興味を惹くこと間違いなしである。」
…かく言う私はどうかと問われれば、これまでiBookとKeynoteを使って何度かプレゼンを試みたものの、褒められた経験は一度たりとも無い。それどころか毎度毎度非難轟々である。何故か?
結局の所、聴衆がダサダサのPowerPointスライドに慣れ切ってしまっているのである。
スライド本文には発表内容がベタ打ちしてあり、発表者はそれをなぞって話すだけ。聴衆がスクリーンに投影されているテキストをじっくり読む時間なんぞある訳も無く、プレゼンテーターの話の内容にも大して集中出来ないまま次のスライドに移ってしまう。そんなこんなで発表内容もろくに理解出来ないまま質疑応答に移ってしまい、スクリーンにはしつこく全スライドのプレビューが表示されている。
…ダサい。余りにダサい。
だが、いざクールなプレゼンを試みようとすれば状況は一転する。聴衆に一番インパクトを与えたい記事だけをピックアップしたスタイリッシュなKeynoteスライドは「文字数が足りない」らしい。特に‘プレゼンテーターの話に集中する’ということに慣れていない連中は、質疑応答の段階で発表内容ベタ打ちのスライドが表示されないと発表内容もろくに思い出せないらしく、最後に決まって言い放たれることは「もっと文字を打て」と。
…アフォかと。
結局の所、学会発表の場というのは‘人と同じように発表出来ないとダメ’なものらしい。しかし、人と同じようにより優れたプレゼンをせねばならないというのは、これまた自己矛盾も甚だしい。結局なんだ、他人と違う研究はするなって訳か。
…そんなことを考えつつ、今日も私はKeynoteを使う訳である。
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