石井慧を観ていて思う事。

朝青龍と似ているのかなぁ、と。
強ければそれでいい、勝ちさえすればいいという意思を感じずには居られないのである。

オリンピックで騒がれ始めた頃から、どうもコイツだけは好きになれなかった。
強い。確かに強い。勝負師として最高の逸材と言うべきなのかも知れない。
しかし、彼からはどうしても‘試合に勝つ’以外の何も感じ取れないのだ。

私が中高通して柔道の授業を受けていた際、教師に散々言われたのは「無理に勝とうとか負けないようにしようとか思うのではなく、相手の気持ちを考えろ」という事だった。
投げる時も相手の気持ちを考える。無理には投げない。相手に怪我をさせてはならない。
投げられる時も、無理に防御したりはしない。捻挫や骨折を招いてしまうかも知れない。投げられたら、相手を素直に受け入れること。

そしてもう一つ「柔道は格闘技ではなく、格技なのだ」という一言。
勝ち負けを決めるのが柔道ではない。技そのものは丸で上達しなかったが、あの心意気だけは5年間の授業を通じてきっちり刷り込まれているように感じる。

私の目に映る石井のJUDOは格闘技であり、柔道ではなかった。

2 comments on “石井慧を観ていて思う事。

  1. 久しぶりにコメントします。

    石井のJUDOが世界のJUDOだろうと思いますが、柔道ではないですし、彼は強くないと思いますね。「うまい」JUDO家です。
    私も一応2段もってます。いつも強引に前に出て、攻め続けて結局返されて負けるくり返し。監督からは「馬鹿の一つ覚え」と言われましたが、監督からそういう柔道を辞めろとは一度も言われませんでしたね。「柔道ってのは攻めてなんぼ。受ける柔道はどっかの国にやらせておけ」私の柔道の先生はそういっていました。
    それが世界のJUDOの趨勢ではないにせよ、少なくとも私のもっている柔道感と、石井なんぞやのもっている柔道感は違います。総合格闘技こそ攻めてなんぼの世界。ポイント取って逃げ切る柔道。そんなもんが通用するとは思いません。

    攻め続けて返され続けている日本の柔道は、あまり誉められたもんではありませんが、石井なにがしの柔道が日本の柔道の主流になってしまわぬように新監督の篠原氏には張り切って頂きたい。

    つうことで、RSSだけはずっと見ていた會澤でした。

  2. > 會澤様
    御無沙汰です。コメント有難う御座います。
    諸事情で一般エントリの更新を自粛しております…。

    攻めてなんぼの柔道、これはこれで爽快なものだと感じます。
    個人的には全盛期の田村とか野村とか康生とか好きでした。
    一方、北京五輪の決勝戦を観ていたら(特に重量級は)
    序盤にポイントを奪い合って後は上手に逃げるだけ。
    両者掴み合ったまま試合終了のブザーが鳴ってしまい、
    爽快感も何もあったものではありませんでした。

    篠原新監督、ちょっと期待したいですね。

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