という訳で、昨日今日とメディアはこの話題で持ち切りである。はっきり言ってうざったいことこの上無い。最早話す内容なんぞに興味は無く(=得るものが何も無い)、私の勘に障るのは連中の会見に臨む態度である。終始「○○なんですよ」「△△なんですよ」と繰り返されていたが、語尾に‘よ’を付ける話し方は相手に対して著しい馴れ馴れしさを与える。即ち、公式の場で発言する際には語尾に‘よ’を付けないのが原則。そもそも、マスコミに『フリーライター』等という格好良い肩書きを付けて貰えなければ、単なる思い付きでのこのこ戦場に出向いた『フリーター(無職/家事手伝い)』の話す日本語である。そんなものに期待する私がそもそも間違っているのだろうか。
そして、郡山発言にも疑問が残る一方。危険だからこそ伝える義務があるのですか。リスクを背負って仕事したら、国民の税金を食い潰しても構わんのですか。政治家にしても今回の拉致被害者(※家族含む)にしてもそうだが、自分の意見を正当化する前にまず考えねばならないことは山程あると思うのだが。
ジャーナリストという殻を被る事で、自らの過ちを正当化しないで欲しいものだ。大体、今日のジャーナリズムは既に崩壊し切っているのだから、ジャーナリストというパーソナリティ自体に何の説得力も感じられない。